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松山地方裁判所 昭和33年(わ)169号 判決

被告人

工員畠一

右の者に対する殺人未遂被告事件について、当裁判所は検察官穴沢定志出席の上審理して次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役参年に処する。

但し、本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

押収の菜切庖丁一挺(証第一号)はこれを没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、大正十二年頃生後十二、三日目位で生母「ヨシエ」の手を離れて、畠中栄太郎(明治二十二年十月二十六日生)、その妻マスヨに貰われ、戸籍上は右両名の長男として出生届がなされているものであるが、右両名の養育をうけて生長し、本籍地の小学校高等科を卒業して以来東洋レーヨン株式会社愛媛工場に工員として働き、伍長の地位に昇進し、昭和二十二年十月十八日木下静子と結婚、同女との間に孝明、弘子の二児を儲け、肩書住居において幸福な家庭生活を営んでいたところ、昭和二十八年頃から前記栄太郎と静子との間に不倫関係がひそかに続き、昭和三十一年六月頃になつて始めて被告人に発覚されるところとなつたが、そのため、生真面目で直情的な被告人は精神的打撃をうけて日夜懊悩したあげく、同年十月松山家庭裁判所に静子に対する離婚、栄太郎に対する慰謝料請求の調停申立をなしたが、仲裁する人があつて調停申立を取下げ、次いで昭和三十二年五月同裁判所に再び静子に対する離婚の調停申立をなしたが、これも前同様の事情で取下げたけれども、どうしても静子と夫婦生活を続ける気持になれず、昭和三十三年六月十三日静子と協議離婚をした上静子は弘子を被告人は孝明を引き取ることとなつたが、家庭を破壊され、妻子と離別する憂目にあつたからには、義理人情の上からでも、栄太郎において相当額の慰謝料を支払うべきであるとして、栄太郎の実子畠中明と交渉したところ、同人及び近親者たちはこぞつて反対し、かえつて被告人に非があるが如き口吻態度を示すので忿懣やる方なき毎日を送つていた折柄、同年七月三十一日夜前記自宅において孝明と共に就寝したものの、あれこれ考えて眠ることができず、ついには栄太郎に対する憎悪の念がこみ上げ、この上は栄太郎を殺害して自殺しようと決意するに至り、翌八月一日午前四時頃、女中若松繁子に孝明の後事を託し菜切庖丁(証第一号)、肉切庖丁(証第二号)各一挺を携え、附近の伊予市上野七百四十四番地畠中明方に至り、「親父おるか」と怒鳴りながら同家西側六畳の隠居部屋の蚊帳の中に入り、同所で仰臥していた前記栄太郎の上腹部を右菜切庖丁で突き剌したが致命傷に至らず、同人に対し全治約三週間を要する長さ三糎、巾〇、五糎、深さ腹腔に達する上腹部剌創を加えたに止まり、所期の目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目) 省略

(法令の適用)

刑法第二百条にいわゆる「自己……ノ直系尊属」とは民法の規定によつて認められる実体的身分関係や地位を指すものであつて、単なる戸籍の記載によつてこれを認める趣旨でないと解するを相当とする。これを本件についてみると、被告人は畠中栄太郎、同マスヨの実子でないのに、戸籍上右両名の嫡出子として届けられているが、この場合被告人が民法上右両名の嫡出子となるものでなく、栄太郎の嫡出子として推定されるものでもなく、また、栄太郎との間に養子縁組、認知の効果が認められるものでもないから、被告人が栄太郎を殺害しようとした行為は、刑法第百九十九条を適用すべき場合に当り、同法第二百条のいわゆる尊属殺の行為には当らないというべきである。

そうすると、被告人の判示所為は刑法第二百三条、第百九十九条に該当するから、その所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、本件は、父親と同視すべき被害者の生命を奪わんとしたもので、その刑責必ずしも軽くはないが、被害者と被告人の妻との不倫関係が本件犯行を誘発したものであること、何ら計画的なものでないこと、さいわいに未遂に終り被害者も宥恕の意思を表示していること、被告人は真面目な性格で悔悟の情を示し、再犯の虞れもないこと、長年勤務した職場を失い、妻子とも離別しなければならぬ境遇におかれたこと、その他諸般の事情を考え、刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、押収の菜切庖丁一挺(証第一号)は判示犯行に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第十九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り、その全部を被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

昭和三十四年三月十三日

松山地方裁判所

裁判長裁判官 伊東甲子一

裁判官 西尾太郎

裁判官 阪井昱朗

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